国指定史跡級と折り紙がつけられた宇佐の豪族居館

宇佐市荒木に所在する小部遺跡は、古墳時代初頭(3世紀末の)から古墳時代前期(3世紀後半)の集落遺跡で、市内北部を流れる黒川左岸の標高8m程度の低位段丘上に形成されています。発見の契機は、昭和40年代の土木工事に伴ってほぼ完全な壺形土器1点(口縁部が上方に立ち、外側には7条の櫛描沈線文が施され、その特徴から、吉備地方の特徴を持つ土器 図1 2004年宇佐地区遺跡群調査報告書1 小部遺跡 宇佐市教育委員会より転載)が出土したことがその発端となりました。その後、大型圃場整備事業や個人住宅建築などにより、昭和57年から平成23年まで計18次わたる発掘調査が実施されました。
これまでの調査では、古墳時代初頭~前期(3世紀~4世紀)の南北約120m、東西約100m、全長200mを超す環溝(環濠)集落で、ほぼ中心部に南北約50m、東西約37mの柵を巡らせた方形の区画施設や竪穴住居などが発見(第14次調査平成9年=1997年)されており、これらの事から小部遺跡には古墳時代前期の豪族居館があったと考えられています。また、遺跡からは、上記の壺型土器含め吉備や近畿地方と言った他の地域で製作されたと思われる外来系の遺物が多数発見されており、海を越えた交流の拠点であったと考えられています。
第19次調査は、当該地区の宅地化計画の申請を受け、遺跡に対する影響等について、宇佐市教育委員会が2019年3月28日から2019年7月12日まで発掘調査を実施しました。
以下、2019年6月30日に開催された小部遺跡第19次現地説明会資料や市内遺跡調査指導委員の田中祐介別府大学教授と武末純一福岡大学教授の所見等より、その要旨を紹介します。
今回の調査では、これまでの調査で検出されていた方形区画(柵)内の西側中央部で柵に並行する形で南北約8メートル、東西約5、6mの高床式の大型掘立柱建物跡が検出されています。建物の穴は約2m間隔に東西4列、南北5列で計約20が並んでおり、建物内部に小型の柱穴が格子条に配されていることから、総柱の高床建物(南北3間、東西4間)が建っていたと考えられるとしています。東西の大型の柱穴は、2段掘りで楕円形状を呈しており、長さが1、5m、~2、3m、幅が0、8m~0、9m柱の直径が約30㎝あり、建物の規模は上記の通り、8m×5、6m以上の非常に大きな建物が建っていたと考えられるとしています。

宇佐市教委提供
発掘当時の小部遺跡


前出の市内遺跡調査指導委員の田中祐介別府大学教授と武末純一福岡大学教授は遺跡の歴史的意義や性格その重要性について以下のような所見を述べられています。「この建物は、内郭の中央一辺に偏って建てられ、その前面は広場とみられることなどから、内郭の中で行われた儀式にかかわる中心施設と推定される。また、この場所で儀式を主催した首長は、駅館川を挟んだ対岸にあって時期が一致する川部・高森古墳群に所在する前方後円墳である赤塚古墳に葬られた(被葬者)の可能性が極めて高い。前方後円墳が出現した古墳時代初期の首長の居宅あるいは儀式の場である『豪族居館』遺跡は、九州に数例あるが、その中で内部の建物まで判明した例は日田市小迫辻遺跡しか無い、小迫辻原遺跡は国指定史跡だが、(中略)対応する前方後円墳(※筆者注:想定される首長としての被葬者)が不明である。したがって小部遺跡は、この時期の『豪族居館』遺跡では大型建物が九州で初めて確認された遺跡となり、同時期の前方後円墳((※筆者注:赤塚古墳、免ガ平古墳の被葬者)との対応関係が具体的に想定できる極めて稀有な性格の遺跡のため、永く保存し将来に残して活用すべきである)としています。
こうした点を踏まえ、高橋宜宏議員は2019年6月17日の市議会一般質問で発掘調査の成果やその歴史的意義に鑑み、専門家の見解を紹介しながら保存の重要性と緊急性を質しました。これに対し、是永宇佐市長は、国指定史跡をめざす考えを明らかにされました
なお、筆者は「古代朝鮮文化を考える会第8号」(1993年12月刊)で「首長(豪族)居館と小迫辻原」と題する拙文で①首長(豪族)居館の概念規定②首長居館の研究史③古墳時代の出現・成立、変遷 構造、属性、機能・役割 ④首長居館の居住者とその古墳の被葬者との関係を論じました。この中でもわずかながら宇佐市の小部遺跡にも言及しました。
さらに筆者は、「古代朝鮮文化を考える会第12号」(1997年12月刊)で「宇佐農耕社会の成立過程の研究」と題する拙文で、古墳時代前期の小部遺跡は当時の調査で一辺48mの豪族居館が出現し、川部・高森古墳群の被葬者との関連が注目されると述べました。併せて小部遺跡から宇佐で唯一、当時の貴重品である塩の流通ルートを示唆する古墳時代前期の製塩土器の出土していることも述べました。
これまで豪族居館は全国でかなり多数の発掘例が報告されています。このうち小部遺跡と同時期の豪族居館跡の遺跡は日田市の小迫辻原遺跡、久留米市の市の上東屋敷遺跡等が知られています。遺跡の規模では小部遺跡は約14850㎡を測り、全国の発見例で最も大きい原ノ城遺跡(群馬県)の17,325㎡に次ぐ大きさとなっています。ちなみに3番目が上ノ宮遺跡(10,000㎡、奈良県)4番目が森戸遺跡(8,100㎡ 茨城県)5番目が三ツ寺1遺跡(7,178㎡ 群馬県)の順となっています。ちなみに日田市の小迫辻原遺跡1号居館は、2,209㎡と推定されます。
最後に、小部遺跡の今後の科学的で全面的な調査・研究で宇佐における古墳時代前期の歴史像(首長の成立過程や被葬者との関連とともに、民衆の暮らしの実態など)の解明の進展を切望するとともに、早急に国史跡指定化を実現させ「文化財は国民の宝」として大事に保存・活用されることを願って結びとします。
なお、執筆に当たり、文化財関係者各位の方々に多大なご指導とご協力、ご教示をいただきましたことを記して厚く御礼申し上げます。2019/11/26日用松 律夫

引用・参考文献
宇佐市教育委員会1998年 宇佐地区遺跡群発掘調査概報のうち小部遺跡(Ⅲ)
宇佐市教育委員会2004年 宇佐地区遺跡群発掘報告書1 小部遺跡 
拙稿 首長居館と小迫辻原遺跡   1993年  
古代朝鮮文化を考える会 第8号
拙稿 宇佐農耕社会成立過程の研究 1997年  古代朝鮮文化を考える会 第12号
泉南市教育委員会 1992年  「第5回歴史の扉を開く泉南シンポ『古代の豪族』

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